麻布氷川神社について

御祭神麻布氷川神社の歴史境内社

 

御祭神

素盞嗚尊すさのおのみこと

天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟。
ヤマタノオロチを退治した英雄です。そして、奇稲田姫(くしなだひめ)を救い出し、
退治したヤマタノオロチの中から草薙の剣(くさなぎのつるぎ)を発見し 天照大神に献上しました。

日本武尊やまとたけるのみこと

景行天皇の子として誕生しました。仲哀天皇の父。武力に優れた英雄の神で長身の迫力のある姿でした。
東国平定の際は草薙の剣によって難を逃れました。大きな一羽の白鳥となって天に昇ったといわれています。

御神徳

勝運 / 商売繁盛 / 厄除け / 開運 / 出世 / 財運 / 安産祈願
災難除け / 学問上達 / 試験合格 / 家内安全 / 縁結び / 国土安隱

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麻布氷川神社の歴史

清和源氏有縁の社

938年(天慶の年 朱雀天皇の御代)、源経基(みなもとのつねもと)朝臣が天慶の乱(平将門)を鎮定しがため東征し際、
武蔵国豊島郡谷盛浅布冠の松(現・麻布一本松の地)に創祀・創建されました。
文武に秀でた経基は、鎌倉幕府の源氏将軍や足利将軍の武家政権を築いた清和源氏(せいわげんじ)の祖にあたります。
江戸城を築城した武将・太田道灌は江戸の災守りとして氷川社を篤く崇敬したことより勧請説(文明1469~1487)もあります。
豊臣時代から“一本松の松の木”をご神木とし周囲には宮村町、宮下町、鳥居坂町、一本松 坂下町など麻布氷川神社を中心とした町名が広く在しております。

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江戸徳川将軍有縁の社


麻布氷川社は 江戸徳川将軍の尊信も篤く、四方絶景で遠く富士山も眺望できし社ゆえに
鷹狩りや遠出した将軍もしばしばご参拝されました。
また二代将軍・秀忠の正室であった浅井江(父・長政、母・お市の方)氏が安産祈願をし、
誕生した三代将軍・家光誕生の守護神であります。
さらにお能を愛好した五代将軍・綱吉も度々麻布氷川社を参詣しました。
綱吉の生母・桂昌院も崇敬篤く必ず奉幣しご祈願されました。

“望海毎談”には、
『氷川明神、江戸の中に七所有、赤坂御門外の社、江戸にては年久し、、、(略)、、、麻布一本松の市中の社、、』とあり、
また港区史内には“江戸氷川七社の一”と記されております。
江戸の氷川社信仰が篤かったことの裏付けと言えましょう。

この頃 神社の東南方向崖から絶景が一望出来、眼下一面竹林で鶯の名所でありました。
江戸中期の松尾芭蕉(文政書上)が“ 鶯をたづね たづねて 阿佐布まで ”と、詠んでおります。

江戸の二大災害を免れるために諸大名は好んで麻布に屋敷を設けました。
当時の絵図等には多くの大名屋敷が存在しております。
江戸大絵図(文政8年、1825)には広大な大名屋敷と同様にご神木・一本松から境内地が“麻布一本松”神社とされております。
江戸図正大全(元禄8年、1695)には同位置に“麻布太明神”とあり、武蔵国全図(安政8年、1856)には“アザブ”とされております。
また、氏子によれば、鳥居坂の上には二の鳥居があり昭和まで元石が残存してあったという由。

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明治時代からの社

明治時代になっても宮家や武家の縉紳の収めるところでした。
明治初め神仏分離となった氷川神社は 有栖川宮の命によりて京都伏見稲荷大社の出、
江戸国学者の荷田春満の後裔に預け任ぜられました。
明治4(1872)年、氷川大明神から「郷社 氷川神社」となりました。
郷社氷川神社は社格であると同時に麻布総鎮守ゆえの特定の行政機能を持ち、
住民の出生や住所移動の際には守札の発行をしておりました。

 

「麻布で気が知れぬ」の洒落言葉にもなった地名麻布六本木町も在してありました。

●巷の事件でたどる明治は
「気が知れぬ麻布の神興」1901年(明治34年)・・・神輿をかつぎ込まれた写真師
<麻布の神輿騒ぎ>一昨日午後3時30分頃、麻布区宮村町の氷川神社の祭に、若い者が神輿を担ぎ出して町内を廻るうち、
此頃同町へ写真師小川一真が家屋を新築した時、今度は同署の混雑となって、つまり一同説諭で放免とは気の知れない土地だけに、
兎角野蛮ははなれぬはなれぬ。(9月19日付)

(「麻布で気が知れぬ」という古い洒落言葉がある。麻布に六本木という地名があるが、どこにその木があるのか、というところから出たらしい。小川一真はアメリカで写真を学び、帰朝後、東宮御所の御用掛となる。岡倉天心が創刊した美術雑誌「國華」の図版撮影を担当している。)

現石碑の文字“郷社 氷川神社”は尾張徳川家第19代侯爵徳川義親氏筆にあります。
昭和20年には戦災に遭遇。社殿は消失してしまいましたが、境内地の神楽殿、宮神輿庫、手水舎は難をのがれました。

 

昭和23(1948)年、氏子でもある鉄筋コンクリート工学の建築家阿部美樹志設計にて、
有縁の方々の尽力により社殿を再建いたしました。
資源不足なる終戦直後に造営できた現社殿は大変貴重な建造物になっております。

広域な氏子区域(現地名で元麻布、南麻布、西麻布、麻布十番、六本木、青山、広尾にまたがる一部)には多く諸外国の大使館もあり、国際色豊かな お屋敷まちの社として広く崇敬されてまいりました。

 

1992年当時社会旋風をおこしたアニメ“美少女戦士 セーラームーン”の「火川神社」巫女・火野レイが
住んでいる神社のモデルとなりました。一大社会現象となるアニメと神社とのコラボレーションの先駆けといえます。
アニメ“美少女戦士セーラームーン”の聖地として、
今日では、国内のみならず外国から訪れるご参拝者も多くいらっしゃいます。

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境内社

應恭稲荷おうきょういなり

應恭大神おうきょうおおかみ

御神徳

商売繁盛 / 五穀豊穣 / 開運

高尾稲荷たかおいなり

高尾大明神たかおだいみょうじん

御神徳

美成就 / 諸芸上達 / 諸願成就 / 開運

仙台藩主伊達氏ゆかりの稲荷社

江戸時代の松平陸奥守 仙台藩下屋敷(現・南麻布1丁目)内にお祀りしたのが始まりです。
「東都麻布之絵図」の“イナリ”社であります。廃藩後は麻布竹谷町でお守りしておりました。
昭和初期から麻布氷川神社境内にご遷座し、お祀りしております。
小さな祠(ほこら)ではありますが、霊験あらたかなお稲荷さまです。

 

 

毘沙門天びしゃもんてん

-港七福神-みなとしちふくじん

御神徳

財運 / 勝運 / 勇気 / 方位除災

勇気と勝運と財運の神

戦国時代の屈指の武将・上杉謙信は自身を毘沙門天の化身であると信仰し、
旗「毘」を揚げ、勝戦を重ねたことはとても有名な話です。

港七福神(みなと七福神)
一年の福を呼び 幸せを祈る七福神めぐり

御朱印は元日~10日頃まで。
麻布、六本木を徒歩約3時間(6km)の6社2寺めぐりです。

    
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