麻布氷川神社について

 

由緒・歴史について

◆清和源氏有縁の郷

938年(天慶の年 朱雀天皇の御代)、源経基(みなもとのつねもと)朝臣が天慶の乱(平将門)を鎮定するため東征した際、武蔵国豊島郡谷盛浅布冠の松(現・麻布一本松の地)に創祀・創建されました。
文武に秀でた経基は、鎌倉幕府の源氏将軍や足利将軍の武家政権を築いた清和源氏(せいわげんじ)の祖です。
江戸城を築城した武将・太田道灌は江戸の災い守りとして氷川社を篤く崇敬したことから勧請説(文明1469~1487)もあります。
豊臣時代から“一本松の松の木”をご神木とし周囲には宮村町、宮下町、鳥居坂町など麻布氷川神社を中心とした町名が広く在してます。

 

◆江戸徳川将軍有縁の郷

麻布氷川社は 江戸徳川将軍の尊信も篤く、四方絶景で遠くには富士山も眺望できた社ゆえに鷹狩りや遠出した将軍もしばしばご参拝されました。
二代将軍・秀忠の正室である浅井江(父・長政、母・お市の方)氏が安産祈願をし、誕生した三代将軍・家光誕生の守護神であります。
さらにお能を愛好した五代将軍・綱吉も度々麻布氷川社を参詣しました。綱吉の生母・桂昌院も崇敬篤く必ず奉幣しご祈願されました。

 

「望海毎談」には“江戸氷川七社の一”と記されています。
江戸の氷川社信仰が篤かったことの裏付けと言えましょう。

 

江戸中期の松尾芭蕉(文政書上)が 東南の崖(竹ケ谷)を望み
“ 鶯をたづね たづねて 阿佐布まで ”と、詠んでおります。

 

江戸の二大災害を免れるために諸大名は好んで麻布に屋敷を設けました。
事実、当時の図等には多くの大名屋敷が存在しております。
江戸大絵図(文政8年、1825)には一つ一つ広大な大名屋敷と同様にご神木・一本松から広大な境内地が“麻布一本松”神社と記してあります。江戸図正大全(元禄8年、1695)には同位置に“麻布太明神”とあり、武蔵国全図(安政8年、1856)には“アザブ”と記してあります。
また、氏子のよると、鳥居坂の上には二の鳥居があり昭和初期その元石が残っており遊び場の一つになっていたと話でした。

 

明治時代になっても宮家や武家の縉紳の収めるところでした。
明治4年、氷川大明神から「郷社 氷川神社」となりました。
郷社氷川神社は社格であると同時に特定の行政機能を持ち、住民の出生や住所移動の際には守札の発行をしておりました。

 

現石碑の文字“郷社 氷川神社”は尾張徳川家第19代徳川義親氏筆
であります。

 

昭和20年には戦災に遭遇。境内地の神楽殿、宮神輿庫、手水舎は難をのがれました。

 

昭和23年、鉄筋コンクリート工学の建築家が設計し、氏子総力で社殿を再建いたしました。現在ある建物は大変貴重な文化財になっております。

 

広域な氏子区域(現地名で元麻布、南麻布、西麻布、麻布十番、六本木、青山、広尾にまたがる一部)には多く諸外国の大使館もあり、国際色豊かな お屋敷まちの社として広く崇敬されております。

 

1992年当時の社会旋風をおこしたアニメ“美少女戦士 セーラームーン”の「火川神社」 巫女・火野レイが住んでいる神社のモデルとなりました。
一大社会現象となるアニメと神社とのコラボレーションの先駆けといえます。

 

今日では、国内のみならず外国から訪れるご参拝者も多くいらしゃいます。